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酒田みずほ倫理法人会のモーニングセミナーに参加しました
昨日は鶴岡で研修のお仕事でした。
私はモーニングセミナーが大好きなので、泊りの県外出張でもタイミングが合えばその地域のモーニングセミナー(以下MS)に参加しようと思っているのですがなかなかタイミングが合いません。
ですが、今回は曜日と場所で参加可能なMSが運よく見つかり、研修のお仕事の翌日に酒田市みずほ倫理法人会のモーニングセミナーに
参加することができました。
けれど問題はその会場。
前日、地元の酒田の方に会場の場所(南洲会館)を尋ねても「自分は聞いたことがない」と言うんです。。。
MSと言えば、地域の著名なホテルや会館等で開催しているのが常なので、一瞬、「え、、、地元の方も知らないところでやっているの?」と少々不安になりました^^
ですが、スマホのナビで会場に到着して恐る恐る扉を開けると聞き覚えのあるメロディ(BGM)が聞こえてきて、非常に安心した気持ちになりました。
※倫理法人会のMSは全国どこでもフォーマットが統一されているので他の単会さんでも参加しやすいです。
南洲神社っていったいどんな神社なの?
さて、本日の講話者は男性ながら会社員の傍ら、庄内刺し子でユニークな商品を制作し、スバルのユーザー誌や家庭画報にも取り上げられてコムサイズムからも提携依頼が来た「刺し勇」こと小野寺勇一さん。
落語がお好きという言葉そのままにリズムとスピード感のある洒脱なお話で、笑わせたりしんみりさせたりあっという間の時間でした。
ですが、ここで突如、強い疑問がムクムクと湧き上がって来ました・・・
会場の南洲会館がある南洲神社はNHK大河ドラマ「西郷どん」でいま話題の西郷隆盛を祀った神社だというのです。
それを伺って「えっ?」とすぐには納得しがたい私でした。
確かに会館内には西郷さんの肖像画があり、そうらしいことはわかるのですが遠く離れた鹿児島の偉人である西郷隆盛を祀る神社がなぜここ酒田に?
ですが、謎はやがて解けました。
酒田市みずほ倫理法人会の方のはからいで今回の講師である小野寺勇一さんご夫妻と(奥様もMSに参加されていました)ゲストの私が直接、館長の水野貞吉様から(公益社団法人荘内南洲会理事長)展示品の説明などをしていただく機会を得たのです。※詳しくは後述
小さな資料室に並べられている現在の展示品は鹿児島から送られてて来ているもので12月までの展示と伺いましたが、それにしても西郷隆盛さんてまるでプロの書家のように字が達筆なんですね。
水野様からは、直筆の書や実物の肌着の説明そして数々のエピソードなどを詳しくお聞きしました。ですが、この最初のお話だけでは、私の疑問はまだ晴れません。
「なぜ酒田に西郷さんを祀った南洲神社があるの?」
※ちなみに「南洲」というのは西郷隆盛の雅号で直筆の書にはすべて南洲の押印があります。ご本人自作の漢詩には「南洲」他の人の詩や文章を書いたものには「南洲書」と、分けてあるそうです。
西郷隆盛を祀った南洲神社がなぜ酒田に?
さて、最後の別れ際にその疑問をお尋ねしてみた水野館長のお話を要約すると答えは以下になるようです。(私にはこの話が一番面白かった!)
①庄内藩は戊辰戦争のときに奥羽越列藩同盟で会津藩降伏後も最後まで唯一抵抗した藩だった
②庄内藩は薩摩藩邸を焼き討ちしている(これは後で見た冊子では幕命とのこと)
③庄内藩は最終的に官軍に降伏したもののそれまでの経緯から戦後の沙汰は厳しいに違いない
④と、予想したにも関わらず新政府の処分は軽かった
⑤その判断を下したのが西郷隆盛と判明
⑥庄内藩は恩義に感じると共に西郷の度量に感服し、藩主自ら鹿児島に赴いて直接指導を受けたため、庄内藩の中に西郷を師と仰ぐ敬意とあこがれが生まれ、その後、藩の若者を鹿児島に留学させるなどの人的交流が始まる
⑦南洲神社は庄内藩のために尽力してくれた西郷隆盛に感謝し、西郷隆盛とそのパイプ役となった藩の役職者 菅実秀(すげさねひで)公(自身も西郷隆盛と兄弟のように交流を深めた)の二人を合祀している
ということでした。いやー、面白い。とても面白いですね。
敵方ではあったものの庄内藩の人達は隆盛の人柄に感服し、教えを請いたいと思ったのでしょう。
そして戊辰戦争後の藩の復興は隆盛にぜひ指導を仰ぎたいと考えて藩の若者を合計78名も鹿児島に派遣(留学)させています。
庄内の地にそんな事実があったとは・・・
これはいまでいえば(たとえば)稲盛氏を師と仰ぐ稲盛会や著名コンサルタントの勉強会に人が集まるなど、そういった雰囲気に似ているのかもしれません。
たぶん、西郷隆盛と言う人はそういった魅力にあふれた人格者だったのだと思われます。
その後、庄内藩の元殿様の酒井忠篤(ただずみ)公は西郷などの推薦でドイツに兵法留学していますし、藩内では西郷の教えを学ぶ勉強会も始まりました。西郷亡きあとは、酒井忠篤(ただずみ)公が遺訓集の発起人のひとりとなりました。
ここから先は私見になりますが、そうやってできたのが庄内南洲会であり、南洲会館はきっと隆盛の教えを学ぶための勉強会場だったのでは?
庄内の地には、西郷隆盛を尊び教えを伝承する文化があったのです。
南洲神社の看板に鹿児島銀行の文字が!
私は、今回驚いたことがふたつあるんです。
ひとつめは神社の立て看板が鹿児島銀行の寄贈だったこと。
これはびっくりですよ。鹿児島の銀行さんが遠い酒田にですよ?東北人として、ありがたい感謝の思いが湧き上がりました。
そしてふと、われらが七十七銀行(仙台本社)も他県で宮城関係者の史跡をサポートする活動を行っているのかなぁ?などと考えたりしました。
鹿児島市教育委員会が企画した冊子も!
それともうひとつは、もう少し詳しく知りたいと思って南洲会館で買った「徳の交わり」というコミック解説誌が鹿児島市教育委員会の企画だったこと。
そして鶴岡や酒田の教育委員会も絡んでいる半ば公的な冊子であったこと。
本当に恐縮ですが、こういった冊子は思いが熱い人達の手弁当であることが多いので、冊子の後付けを拝見してこれは教材なのだと知り
驚くと同時に、思いを新たにしました。
西郷さんは鹿児島県が官民一体 全県挙げて応援している人物なんですね。その歴史的経緯を酒田や鶴岡もしっかりサポートしていました。
水野館長によれば、酒田の南洲神社は地元よりも鹿児島の方で知名度が高いそうです。調べてみると「南洲神社」は全国に4か所あるようです。
その中で本州唯一の神社ということで、私が訪れた日もマイクロバスが1台来ていました。歴史が特に好きというわけでもありませんが
先人の経緯には共感できることが多いです。
水野館長はあまり触れませんでしたが冊子には酒田の豪商本間家の介在を匂わす箇所もあり興味は尽きません。
今日は、色々な意味でMSに参加してよかった!と、心から思いました。
帰りにおみやげにいただたいた「南洲翁遺訓」をこのあと目を通したいと思います。(これってなんとなく万人幸福の栞に雰囲気似ているかも?)