旧タイトル「裸足のイサドラをどこでやめるか」

シバの女王

私が小学生の頃、まだ西公園にあった「仙台市天文台」併設のプラネタリウムでは、
一連の上映が終わに近づき、ドーム全体の天上のスクリーンが白んできて、
「仙台市の明日の夜明け」の場面になると、
学芸員さんの「おはようございます。XXXX年XX月XX日の仙台の夜明けです」という、
ささやきにも似た静かなアナウンスと共に、BGMに流れていたのは、
確か、レイモン・ルフェーヴルの「シバの女王」だったと思います。
(アナウンスの年号は西暦だったか昭和だったか、定かではありませんが・・・)

 

西公園のプラネタリウム、大好きだったんですよね。
小学生の時に、小田原から市電に乗って、よく一人で見に行きました。
今思えば、わざわざ小田原まで市電に乗りに行かなくても、
その時間があれば当時の自宅(東八番丁。現在の「セントジェームスクラブ迎賓館仙台」付近)から、
藤崎ぐらいまでは行っちゃうんじゃないかと思うけど、
そこはほら、一人の冒険だからやっぱり、市電に乗ってみたかったんじゃないかしらね。

 

プラネタリウムの下の方が仙台を模した切り絵のようになっていて、
今となっては稚拙かもしれない当時の「仙台のあしたの日の出」の風景も、
それまで暗い中で、ドームの天井に投影される一夜の星空の移り変わりを見ながら、
1時間近く、解説に耳を傾けてきた自分にとっては、
すごく気持ちを新たにさせられる高揚感のある場面で、
私はそのシーンが大好きだったんですよね。
だから「このBGMはいったい誰のなんという曲だろう?」と思って、
すごく探したのだと思います。(とはいえ、昔の記憶なので、違ったらごめんなさい)

 

私が高校生ぐらいのときって、イージーリスニングという音楽の分野が確立されていて、
ポール・モーリア、レイモン・ルフェーヴル、カラベリやフランク・プゥルセルなど、
優しく、切なく、耳触りの良いインストゥルメンタル小品が、ホ
テルのロビーや街中のオシャレな飲食店、そして、席数の多い昔の「珈琲喫茶」でも、
よく耳にしたと思います。
(イメージ的には、詩仙、王朝、など。←あくまでも個人的なイメージ(笑))

裸足のイサドラ

そんなことを思いだしながら、YouTubeを眺めていたら、
「裸足のイサドラ」にたどり着きました。
この曲もまた、個人的に、とても思い出深い曲です。

 

この曲もネット上には色々なバージョンがあるのですが
私の思い出の曲はたぶんこちらだったような気がします。

 

 

この曲は、高校1年生の体育(ダンス、新体操)の授業の時に、
私達のグループが、先生が提示したいくつかの候補の中から選んだ曲で、
グループで話し合いながら、これに自分達で振付を考えていくんです。

 

そして何回目かの授業のあとに行われた各グループの発表会で、
先生から絶賛されて、その後も「あれはよかった」と
何度も繰り返しお褒めいただき今でも思い出す
私の心の宝物になった曲でもあります。

 

昔から出しゃばりで主張の強い私ですから(笑)、
たぶんそのときも、穏やかで協調性のあるメンバーの中で、
それなりに主義主張の強かった私が^^
なんとなく、リーダー的な存在になっていたように思うのですが、
私達のグループがほかと違ったのは一曲すべてを踊ろうとせずに、
区切りのいいところで「ここまで」と、早々にラストを決めて、
その短い部分だけの練習に特化したことなんです。

 

ご紹介した実際の音源で言うと、
1分33秒ぐらいに短調から長調に切り替わる寸前の手前まで、ですね。

 

当時はインターネットなどもちろんなかったので、
この曲がどんな背景を持つどんな種類のミージックなのかを知る由もなく、
私が授業で初めて耳にした個人的な印象としては、
秋の奥入瀬川(なぜか奥入瀬川(笑))で、川面の水の流れに一枚一枚散りながら、
色鮮やかに水面を流れていく、モミジの赤い葉っぱのイメージでした。

 

なので、そこだけを皆で練習しているうちに、曲の後半部分までは全く手が回らず、
当時から適当でいい加減だった私(笑)の、
「だったら、もう、ここまでいいんじゃない?」という言葉に、
控えめなメンバーが従ってくれたものだったと記憶しています。
ですが、実際に皆がどう思っていたかはわかりません。
もし異論があったとしても、それをすぐに言えない人もいるので、
今思えば、調子に乗ってやりたいようにやっていたのかもしれません。

 

ですが私、この経験を通して
“量ではなく質を高める”ということの重要性に気が付いたんです。
先生から提示された曲の全編を仕上げなくても、
自分達で「ここまで」と線引きをして、
そこだけの質を高めていくって、大事なんだな、と思いました。

 

他のグループも先生が提示したいくつかの曲の中から
好きな曲を選んで練習しましたが
途中でやめるという発想はもちろんなく
当たり前のように最後までやっていたので
全体の動きを決めるのが精いっぱいで「作り込み」ができず
発表会の授業では打合せ不足による失敗も目立ちました。

 

けれど私達は短いながら何度も練習したので
一応、完成した作品となり
たぶん、先生がやってほしかったことに
一番近かったんだと思います。

 

こういった、体の動きの美しさや
バランス、協調性、芸術性を養う授業は、
本来は勝ち負けの世界ではないので、
そこで「勝った!」と思ってキャーキャーと
喜んでいた私達もどうかと思いますが(笑)
それがどんな意味を持とうとも、
そのときの先生に褒められた思いは今も忘れられず
それが自分の小さいけれど大きな成功体験になっています。

 

褒めてくれたのは、
当時はカッコいいイメージだった
ホンダのCIVICで通勤していた北村優という新体操の先生でした。
先生はたぶん覚えていないと思うけど、
生徒ってそういう小さなエピソードを
すごく覚えているものなんですよね。

 

先生、元気かな。
授業でしか接触がなかったので、
たぶん私のことも記憶にないと思います。
でも私は、先生に褒めてもらったことを今も忘れないです。
人の強さってそんな風に、小さくても今も光り輝いている
様々な宝物に支えられているのかもしれません。




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