長文もトレーニング次第
挨拶と習慣 > 現在の記事 > 客観への渇望仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎久美子です。
文章を書くのが好きで、急ぎの資料作成や事務作業がないときは、
あっちのブログ、こっちのブログ、MIXI(ミクシー)やTwitter (ツイッター)など、
あっちに書き、こっちに書きしながら午前中を過ごしていたりしますが、
それを見た友人達から、「よくそんなに書けるね」と言われることがとても多いです。
「しかも皆内容が違う上に長文で、
私だったら時間があっても無理!無理!」と言われることも。
あはは、そうなのかしら?
先日、長男が就職で東京に発つ旨をある友人に伝えたところ、
「寂しいでしょう?」と言うので、
「それがそうでもないの。私の場合は一人でも頭の中が賑やかだからね。」と回答したら、
大いに爆笑されて、「受ける!あまりにおかしいから書いておく!」と、
携帯にメモまでされた私なのですが、
この"頭の中が騒々しい"のは、
確かに文章のボリュームと関係あるのかもしれません。
ですが文章ということに関して振り返ってみると、
「あれがよかった!」と思える経験が自分にはあります。
それは30代の頃に数年続けた文通かな。
実は私、その頃CHAGE&ASKAのファンクラブに入っていたんですが(笑)、
「SAY YES」のヒットを機に若い方が増えてしまい、
会報を読んでも若い人の投稿が中心で寂しいなぁ…と思っていたところに、
同じ世代の方からの文通希望のメッセージを見つけたんです。
それを見て同世代と共感を語り合いたくて、
早速申し込んだのがそもそものきっかけでした。
(その頃はまだ「手紙」がメーンの時代でしたし)
ところがいざ文通を始めてみると、いやぁ書けない、書けない、
自分がリアルタイムに考えている事や、
何かを見たり聞いたりして感じたことが全然うまく書けないんです。
いえ、「書けない」というのは正確ではなく、
書くことは書けるのですが、
読み直して、「自分が言いたいのはこういうことじゃない」と感じることが多く、
今思えば、一体何が言いたいのか、
自分でも核心を掴むことができなかったんですよね。
それで、たった2〜3枚の便箋に書くのでも、
「こうでもない、ああでもない」と時間がかかり過ぎて、
そのテーマについて書く時期やタイミングをすっかり逃してしまい、
また一から書き直す羽目になるなど、
文通程度でなぜこんなに真剣になってしまうのだろうと思われますが、
本当にその時は、「うまく伝えられない」事を嫌だと思ったんですよね。
* * * * * *
それにしてもいったいなぜこんなに自分が書いた手紙に対して、
毎回自分でダメ出しをしてしまうのだろう?…と考えてみたところ、
あるとき、自分の文章には偽りが多いと気がついたんですよね。
「偽り」というのはウソつきのウソという意味ではなく、
カッコいいとあまり思ってないのに、
相手に合わせて「カッコいいよね!」と書いたり、
「最高」と思っていないのに「最高!」と書いてしまったり、
自分の偽りのない本音が全然文章に反映されていないので、
それで気乗りしないんだ、と気がついたわけです。
ですが、盛んに最高潮で盛り上がっている文通相手に対して、
「自分はそうは思わない」などと冷たく水を差すような事も書き難く、
じゃ、どう書けばよいのだろう?などと模索し始めました。
そしてまず「ウソは書かない」「ウソはどんどん排除する」と決めてみると、
自分が何も考えずにただ書く文章って、思った以上にウソが多くて、
本当に言いたい事、伝えたい事、感じたことを全然すくい取れていないわけです。
それを何度も何度も推敲しながら、「ここが違う」という箇所を見つけ、
より自分の真意や本音に近い表現に置き換えていくという作業を、
数年間、手紙を書くたびに行っていった結果、
段々すらすらと思った事が思った通りに書けるようになって来て、
時間もすごく短縮していったんですよね。
それともうひとつ、ここではないブログを、
2004年に始めた事も大きかったです。
そこではナーバスな話題を扱うことも多かったため、
これまた文面や表現に注意せざるを得ず、
「これじゃ誤解を生む、これじゃ勘違いされる」等々、
書いて読み直して修正してまた読み直して…の繰り返し。
ですがそちらのほうでも、数年来続けているうちに、
結構な量の文章でも短い時間で書けるようになりました。
* * * * * *
文章を書くと言うのは、
絵を好きな人が絵を描いたり、演奏の好きな人が楽器を弾いたり、
書を好きな人が書を書く、ダンスが好きな人がダンスを踊るなどと同様に、
自分にとってはある意味、アーティスティックな自己表現の手段に似ているんですよね。
だから文章を書いていると充実していて楽しく、
そこでうまくいかないことがあれば、つい突き詰めたくもなるわけですが、
そういう気質の人でも、そうでない人でも、
やはり数を書いていれば、
語彙や表現の呼び出しや連想力などのつながりが、
必ずスムーズになって来るので、
好き嫌いや才能がないなどと思わずに、
目的を持って何度も何度も時間を掛けて書くことをぜひお奨めします。
自分の書いたものを読み返して、
「なんでこんな風にしか書けないんだろう?」と思っている方ほど、
効果があると思います。
だって、そう感じ取れることが、何よりもまず、
変化に必要な第一歩ですものね!
最後になりましたが、
文通はお互いの趣味の変化で自然にフェイドアウトしましたが、
(つまりお互いに違うアーチストに鞍替えした→浮気なぼくらbyYMOだね(笑))
彼女とは今も年賀状だけの交流は続いています。
双方とも、手書きのコメントなどなく、一見素っ気ない年賀状ですが、
お互いにわかりあっているので、それもいいかな、と思って。
なのでお正月が来るたびに、あの頃と彼女の事を思い出し、
1年に一度、元気でやっているよ〜!と思いを込めて、
無言の年賀状を送っています。
たぶん今までも、これからもずっとね。
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