行動のヒント

行動に閉じカッコをつけるのが目標

確信が行動を変える > 現在の記事 > かっこいい人探し

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あまり表に出していませんが私の仕事の品目で、
ある機器装置の使い方をメーンとする研修があります。

 

それをやるときには自宅から現物を色々持ち込んで、
依頼先の研修室の机などに並べて、
実際にやってみながら解説をしていくのですが、
これが毎回とっ散らかるんだわ^^

 

解説部分は慣れているところなので問題ないとして、
手元とか手際のところですね。

 

電源をつなごうと思うと、あれ?ACアダプターがない!
実演がなぜかうまく行かないのでよく見てみると、
その前の単元でやった設定を戻してない!
プロジェクターを見てもらおうと思うとポインターがなくて、
さっきまで何本もあったホワイトボードのマーカーがひとつもない!

 

机の上は何となくごちゃごちゃしてくるし、
機器類の組み合わせを変えようと思っても、
線が絡んですごく時間がかかるし、
しまいには足元の配線に引っかかって転んだり物を倒してしまったり^^

 

それで前回すごく思ったんですけど、
アタシってなんでこうなんだろ?って。

 

今まではそこそこ感じていながら特に大きな疑問はなかったんですが、
前回の研修のときに突然、
これって他の人がやったらどうなんだろう?って思ったんですよね。
そして突然、きっとこうはならないわ!って確信したんです^^

 

    *    *    *    *    *    *

 

この頃痛感する私の大きな欠点は、
ひとつの物事をきちんと完了せずに次に行くという事なんですよね。

 

もちろん仕事ですから、
約束は守るし出すものはちゃんと期日まで出しますが、
そういうタスク上の話ではなくて、
無意識にやっている行動の癖なんです。

 

先日の「相性の悪いコミュニケーション」の中で書いた、
動的思考の話ともリンクするんですが、
「思考がそこにとどまらない」のは些細な行動にも表れていて、
それが自分の長所を支えている最大の要因でもあり、
よくないところの原因になっている最大の欠点でもあるんですよね。

 

この前特徴的だなと思ったのが、
研修中にホワイトボードで何かを書くとき。

 

マーカーをきちんとその場に置けばいいのに、
書き終えた瞬間には次の事が浮かんでいて、
無意識にマーカーを持ったまま机に戻り、
PCの脇に置いて画面に向かってしまうんですが、
マーカーが定位置になくなるまでそれを繰り返すので(笑)、
あれ?と思った時には自分のPC周りにマーカーが一杯!!

 

あまりにも毎回必ずそれをやっているので、
最近は逆に探すこともなくなりましたけどね。
ないと思ったら机に戻ればいいんです(笑)
すごく確実!打率100パーセント!(笑)
でもその時は全く覚えてない。

 

そしてこれはすべての行動に当てはまるので、
素の状態で普通に暮らしていると、
自分の周囲がものすごく汚くなってきます。
とても小さなことでもその傾向で行動するんだから、
どうしてもそうなるよね?

 

たぶんきっと傾向としては、
ADHDっぽいところが自分にあるんだと思います。

 

    *    *    *    *    *    *

 

だから1年も1/4を過ぎて次の目標を、
「行動に閉じカッコをつけること!」としました。

 

イメージとしては、
複雑な組み合わせの作業や何かを同時進行しなくてはいけないときでも、
[1+{2×(4+5 )×(6+7)}ー8]÷5 のように、
きちんと括弧閉じのある入れ子構造の数式のように、
ひとつの行動をすごく小さな単位できちんと完了させること。

 

「ホワイトボードで解説してPCに戻り、
プロジェクターで実際に設定手順を見せる」
というだけの行動ひとつ例にとっても、
ひとつひとつの動作を完璧に完了させて次に移る、
そう意識する。そういうことかな。

 

普通の人が誰でも無意識にできていることでも、
自分には強く意識しないとできないという事があります。
そんなとき私は、なぜだろう?と考えて、
ものすごくものすごく自分の行動と思考を精査してみて、
「あ、自分にはこういう癖があるんだ」と発見するのが、
私は大好きなんですよね。

 

原因がつかめれば意識するようになるので、
少しでも改善はされていくし、
そこで得たものが今度は自分のコーチングに、
とても役に立ってくるんですよね!

|2011年5月 4日 08:38|笹崎|


再現できるように聴く

水加減論争〜本気で関心を持つ〜 > 現在の記事 > 飲食店の電話応対

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昨年、会員広報誌用にある勉強会の簡単な報告記事を頼まれ、
手元のノートを見ながら文章に起こそうとして愕然としました。
きちんとメモを取ったはずなのに、全然書けないんです。

 

もちろんメモは詳細に書いてあります。

 

例えば「○○のときは××が可」「△なら□をすべき」

 

ところが、これは講師が実際にそう言ったのか、
講師の言葉を聞いて自分がそうまとめたのか、
または自分自身が気づいたメモなのか、
それが曖昧でよくわからないんです。

 

また、「○○のときは××が可」と書いていますが、
では講師はそれをどういった言い方で表現したのか?
それによって講師の生の言葉としてのリアリティが変わりますし、
ニュアンスも大きく異なって来ます。

 

結論や要点だけを書いたってダメなんだな。。。

 

そう気が付いた私は、
以後、メモの取り方を変えました。
講師が言った通りのそのままの言葉で記録し、
講師が引き合いに出した体験談は、
あとから一目でそうだとわかるようにくくり、
講師が参加者に資料を見るように指示したら、
そのタイミングと参照資料も書きこむようになりました。

 

でも、それでもまだ足りませんでした。

 

別な勉強会のときに気が付いたのですが、
内容をきちんと人に伝えるためには、
講演の部分だけではなく、
2時間なら2時間、その時間の一部始終を書いたほうがさらによく、
最近の私は、開始の挨拶から講師紹介や締めくくりに至るまで、
また、司会の方の名前や挙がった質問やその回答、
合間に講師の方が近くの人に話しかけたジョークまで、
全部メモする事にしています。

 

これにはヒントになった経験があるんです。

 

昨年私はあるセミナーのお手伝いでコーディネーターをしたのですが、
3回連続のセミナーのうち、自分が関われるのは第一回のみ。
残りの2回は友人に引き継ぐことになったのですが、
その友人に第一回目の内容をすべて正確に伝えて引き継ぐためには、
自分が講師になって同じ内容を再現できるような聴き方と記録が、
一番いいと思ったんです。

 

で、思わず「これだ〜!」と思いました。

 

すべてを再現できるように聴く。

 

それからはさらにメモの取り方を変えて、
今はどんな勉強会でも必ずそういった聴き方をしています。
書くボリュームが増えるのでとても忙しいのですが、
同じ時間を用意してくれたら、
今度は自分が相手の方にそれを再現できるように、
いつも意識して聴き、意識してメモしています。
もちろん、どんな内容の勉強会でも、です。

 

そうすると、本当に内容が頭に「入る」し忘れないし、
教えてと言われたら、すぐに教えてあげることができるんですよ。

 

これはいいぞ?と思った私は、それを発展させて、
自分の研修のワークにも取り入れちゃいました。

 

================
今から話す内容を聞いて、
「皆さんから他の人にレクチャーする」というワークをしますので、
そのつもりでよく耳を傾けてきちんとメモしてください。
================

 

こんな風に説明すると、皆さん、必死に真剣になって、
ものすごい集中力で私の言葉を聴いてくれます。
取り組みの姿勢が根本から変わるんですよね。

 

すべてを再現できるように聴く。

 

これ、とてもいいので、皆さんもぜひ試してみてください。

 

 

|2011年2月14日 09:28|笹崎|


間違いを指摘されても(転職編)

間違いを指摘されても(講師編) > 現在の記事 > 7/8(木)夜「ワンコイン講座」

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先の記事を書いていて思い出したのですが、
先日、ある方達とお話をしていて、
雇用と年齢の話題になり、
「実務経験が豊富でも年齢の高い人は不利だよね」
というテーマが出ました。

 

ひとことで言えば「育てにくい」という結論であり、
間違いを指摘しても、
「言い訳から入ってすぐ謝らないよね。」というお話でした。
私もそれには共感するところがありました。

 

    *    *    *    *    *    *

 

それについてはいつも思う事があります。

 

職場は新しく入ったその方のキャリア云々よりも、
「その業務、その手段、その価値観」に慣れて、
他の方と同じレベルの戦力になって欲しいと思っているので、
そのための働き掛けをストレートに受け入れてもらえないと、
先輩指導者はやりにくさを感じてしまうんです。

 

また、相手の言い分に素直にうなずく行為は、
お互いの良好なコミュニケーションのためにも大切なことなので、
そこに適度なYESが返ってこないと関係もギスギスしてきます。

 

キャリアのある方が間違いを指摘されたときに
「それは知っている」「今回は△△だから間違えた」
「以前□□だったのでそうした」と真っ先に言ってしまうのは、
実は何よりも自分の事情を優先してしまっているんですよね。

 

コーチングでは相手の存在を認め尊重することを「承認」と呼び、
お互いの良好な人間関係に不可欠なものとして捉えていますが、
これが相互に行われていないと関係が悪くなるわけです。

 

自分の都合、自分の事情、
自分の立場を守ってしまう気持ちは当然誰にでもありますが、
それの度合いが強くなると、
相手は受け入れてもらっている気がしません。

 

また、早く仕事を覚えたい意欲が伝わってこないので、
過去に実績があっても、
人としての評価は低くなりがちです。

 

だから、少し怖くて少し不安で少しストレスがあっても、
間違いを指摘されたときに言い訳をせず、
シンプルなYESで対応することは、
相手の人物を承認してあげる行為であり、
実は「人とうまくやる」知恵だったりします。

 

そしてそれが業務、職場、ひいては会社への承認となり、
皆が初めてあなたを仲間の一員として認めてくれる、
きっかけになると思うんです。

 

これはやみくもにイエスマンになれというのでなく、
若くない方が転職を成功させるための、
ノウハウだと思ったほうがいいかもしれません。

 

会社だって仲間だって指導役の先輩だって、
みんな「自分を、自分達を認めて欲しい」と思っているんですから。

 

ズルく言っちゃえば、それに先に気が付いて、
振る舞いを軌道修正したほうが「勝ち」ってことです。

 

今から転職や再就職をお考えの「決して若くはない」皆さん、
その一点で私達は、
圧倒的な年齢差が自然に真摯な態度を作り出している若者達に、
「負けている」ということを、よくわかっていてくださいね。

|2010年6月19日 05:57|笹崎|


間違いを指摘されても(講師編)

7/1(木)昼「初心者ツイッター講座」 > 現在の記事 > 間違いを指摘されても(転職編)

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先日行っていた研修で、
パソコンがインターネットにつながらない、
ということがありました。

 

その会場のシステムを担当していたのが私の友人だったため、
彼に電話したところわざわざ駆けつけてきてくれて、
あっという間に解決してくれました。(早い!すごい!)

 

ところがその原因というのがどうやら私の設定ミスにあったらしく、
のちほど影で「○○が××になってましたよ?」と、
こっそり教えてくれました。

 

あらら、お恥ずかしい。
なぜならそのときの研修内容というのが、
インターネットに関するものだったため、
講師の私の立場に配慮して、
友人はその場でそれを言わず、
あとから耳打ちしてくれたのでした。
重ね重ね感謝です。

 

が、私、ちょっとそそっかしいので、
たまにこういうことがあるんです。
特に研修の時などは、「早く直さないと」と思い、
いつもならすぐに気が付く小さな事を、
少し焦って見逃してしまうときも。

 

でも最近は、それも皆さんへの好材料と思い、
今目の前で起こった現実的なエピソードとして、
原因を伝え理由を説明し、
自分の思い込みや感情も含めて、
その都度隠さずにその場でお伝えしています。

 

なぜなら講師は技術的な指導者であるばかりでなく、
仕事の先輩として、皆さんの見本にならなくちゃ!
って思うからです。

 

自分が悪い時はそれを認める、謝る、
ミスは隠さない、伝える、共有する、
対策が必要な時は相談する、皆とはかる、すぐ動く…

 

内心は(うへ〜カッコ悪い、と思う時もありますが^^)
そういう姿勢を自ら示して、
見ていて欲しいな、と思うから。
それは指導的な言葉でお伝えするよりも、
記憶となって残るし、
やがて皆さんの仕事に生きることもあるのでは?
と思うから。

 

最初はやっぱり恥ずかしかったです。
言い訳をしてなんとなくごまかした事もありました。

 

ですが、これからそういったお仕事に就く方達の研修なのですから、
参加者の皆さんも今後同じようにミスしたり間違えたりすることも、
あるわけですよね。
それなら、今起こった絶好のケーススタディとして、
研修にも活かしていけばいい、
そんな風に思い始めました。

 

もちろん通常は何もないときがほとんどなのですが、
もしそういったことが起こったら、
すぐに気持ちを切り替えることにしています。

 

なので、友人の暖かい心配りに感謝する一方で、
皆の前で「ここが間違っていたよ?」指摘されても、
それはそれでよかったかも、とも思いました。

 

でも本当は「間違い」は、
ないのが一番です!(笑)
そしてこんなことを書くのも、
実は自分が一番言い訳がましくて、
臆病な人だったからなんですよね。

|2010年6月19日 04:32|笹崎|


合格させるコーチング

母と娘の勘違い(筍一本) > 現在の記事 > ツイッター講座の講師をしました

 

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今日クライアントさんと話をしていて、
子供達が進学や就職で試験に合格していくために、
親はどんな風にすればいいんだろう、と考えていました。

 

私は受かった大学と落ちた大学がありましたが、
結果的に大学には行きませんでした。
どちらの大学にも今思えばあまり関心がなく、
かといってなりたい職業があるわけでもなく、
一応「来年も目指してみよう」などとは思ったものの、
当時の私は目標を立てて継続的に何かを実行することができず、
勉強などほとんどしないままふらふらしている状態で、
本当にすべてが中途半端だったと思います。

 

そんなとき親、特に母親に何をして欲しかったかと考えると、
「何になってもいいし、どんな人生でもいい」と言って欲しかったし、
どんな選択をしても認めて応援してもらえる確信を持たせて欲しかったし、
できればもっともっと、「ノセて」くれたらよかったかな。

 

うちの母は不安感が強い人なので、
何事もまず疑念から入るところがあり(笑)、
話をしていても内容が突飛だったり確実性がなかったりすると、
断固却下されて、
「もっとちゃんとした事を考えなさい」と怒られたものです。

 

ですが、私のような調子に乗りやすいタイプの人間には、
枠組みを決められてしまうとうまく自分を出せない傾向があり、
「これもダメ、あれもダメ」になると、その範囲で何かを決めるのではなく、
夢や希望そのものが思い浮かばなくなってしまうところがありました。

 

もちろん進路は自分で決めるものですし、
合格も不合格も自分の実力の結果でしかありませんが、
そのための努力を本人自身が心から欲しなければ、
全く行動にはつながらないわけで、
「自分はこんなことをしたい」「将来はこうなりたい」というイメージが、
希薄であれば当然結果も出ないわけです。

 

そしてそのイメージを作り上げる源は、
実は「社会貢献」とか「将来性」とかいう論理的なことよりも、
「カッコよさ」だったり「優越感」や「尊敬」だったり、
「安定への渇望」だったり「趣味の追及」だったり、
案外、感覚・感情的なほうがエネルギーが強かったりします。
私はそこにNGを下さず、むしろどんどん口に出してもらって、
親子で同じ気持ちで一緒に盛り上がるくらいのほうが、
いいと思うんですよね。ときには共犯者っぽくね(笑)

 

昨年長男と面接の練習をしていたときにまず聞きました。
「あなたはなぜこの仕事に応募したのですか?」

 

長男の答えは、社会がどうの、地域がどうの、といった回答だったので、
本当かな?とちょっと思って、
「私だったらカッコいいからなりたいと思うけど?」と水を向けてみたら、
長男の顔がパッと輝いて「そうなんだよ!カッコいいんだよ!」と、
急に人が変わったように表情が生き生きと変わったのが忘れられません。
思わず、「今のその表情のほうがよっぽど面接官にポイント高いよ!」
と叫んでしまったぐらいです。

 

また、次男は4科目がある資格試験で、
「受かるなら4科目全部一気に受かりたい」といつも言っていました。
有効期限内に一科目ずつ合格するよりも、
「ゼロから一気に100になりたい。
そっちのほうがずっとカッコイイし自慢できる。皆にすごいと言われたい。」
その言いぐさには非常に共感できたので、
「だったら目指そうぜ!」が合言葉でした。

 

何をやってもいい加減だった親に似ず、
長男も次男も共に志望の仕事に就くことができましたが、
二人とも色々な壁を乗り越えての結果なので、
私は本当に偉いと思います。(というか自分が恥ずかしい^^)

 

そして同じ年代だったときの自分と比べると、
やはり「念」みたいなものが全然違うんですよね。
明確だしブレないし、憧れがある!みたいなところで。

 

そういった事をストレスなく親の前で口にする事が出来て、
子供が自分で戦略を立てることが出来て、
その内容も親に話すことができて、
親も「なるほど、それはいい考えだね」と、
肯定して褒めて承認してあげることができたら、
子供はもっともっと変わっていくのではないかと思います。

 

そのためには、コーチングの知識って、
たくさんのお父さん、お母さんが、持ったほうがいいと、
私は思うんです。

 

コーチングって人をそうやって伸ばしていくノウハウでもあるので。

 

 

|2010年5月26日 21:06|笹崎|


耳を動かす!〜私を変えた付録記事〜

[終了]スポーツメンタル強化の第一人者:福島大学白石豊先生講演会 > 現在の記事 > 【多賀城】喜多家さんで「スープチャーハン」

 

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仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎久美子です。

 

私は耳を動かせます。
といってもよく見ると付け根のところがかすかに動く程度なのですが、
これは最初からできたわけではなく、
頑張って得た「結果」なのです(笑)

 

私は小さい頃、家で小学館の学年別学習雑誌をとっていたのですが、
確か、「小学三年生」か「小学四年生」だったでしょうか。
当時「なぜなぜ百科」みたいな小型の小冊子がよく付録についていました。
(私はこれがとても好きでした。)

 

簡単に言えば「空の色はなぜ青い?」といった感じのQ&A集です。
今はいったいどんな質問だったかすっかり忘れてしまいましたが、
これの回答コーナーで、
「耳を動かす筋肉は誰にもあります。だから誰でも動かせるようになれるのです」
という一文あり、へ〜!そうなんだ!と感動したのが始まりです。

 

今思えば当時の回答は少々眉つば的なものとあったと思います。
だから本当に「誰でも動かすようになれるのか」はわかりません^^

 

ですが、その自信に満ちた回答っぷりに完全にその気になった私は、
「じゃ、やってみよう」とマジで思いました。
こういう何の益にもならない事にエネルギーをかけるのが至って好きな私なのです。
「面白い!できるんならやってみよう」とすぐに思っちゃうわけです(笑)。
そして、「ねーねー、ちょっと!ちょっと!」と言って友達を集めて実演し、
キャー!と皆に受けている自分の姿が目に浮かぶわけです(笑)

 

感想は、はっきり言って難しかったです。そして時間もかかりました。
1週間〜2週間なんてものじゃなくて、
挑戦してはあきらめ、数か月後に思い出してはまたハマってあきらめ…
で、結局中学生ぐらいにできるようになったかのな?

 

最初は一体どうしたらいいのかさっぱりわからないので、
テレパシーのように心で念じるだけでしたが、これじゃ動くわけありません。

 

そのうち顔のいろんな筋肉をやみくもに動かして試してみるようになり、
トレーニング?の結果耳よりも先に頭皮がよく動くようになりました(爆)!
これは一生懸命眉を動かしているうちに、
眉が動かずに頭皮のほうが眉に近づいたタイミングが偶然あって、
お?これだけでもいいかも!と思って感覚を掴んですごく練習したら、
段々自在にできるようになったんです。(でも小さな動きです)

 

そうしたらそれをやっているうちに、大変微妙なのですが、
頭皮と耳を別々に動かす事が出来そうな感覚を持つ事があり、
「そうか、これを発展させていけばいいんだ!」と思いました。

 

人間やはり、何でもあきらめずに続けているとコントロールが可能になってくるものです。
没頭して取り組んでいるうちに少しずつ偶然を→必然に変えることができるようになり、
ついに(ほんの少しですが)耳の付け根を動かせるようになりました。
やった〜!!!これが中学生のときですからいわば苦節3年ですね(笑)

 

ですが今振り返って思うのは、あのときに、
「誰でも必ずできます」という記事を読まなければ、
そんな(くだらない)ことに挑戦?しようとは思わなかったし、
「誰でもできるのだ」と信じ込んでひたすら練習することもなかったと思います。

 

だから、馬鹿になって信じ込むってすごく大事だと思います。

 

そうか、こんなやり方で不可能を可能にしていくんだな?と思った私は、
その後巻き舌(タラララ)に挑戦してできるようになったり、
まぁ、色々やってみました。

 

唯一のデメリットは親に怒られることですね。
こうと思ったらかなり没頭するタイプなので、
食事の時もTVを見ているときもずーっとトレーニング?しているわけですが、
母にはそれが、顔の神経が麻痺している方に見えてしまうみたいで、
何度も何度も「やめなさい!」って怒られました。
でも負けない!夢があるからね〜(爆笑)。

 

巻き舌(タラララ)も最初はタラララララ〜にならずに、
「タラタラ」と言葉で発するだけだったので、
その当時我が家では、「タラタラ」がはやり言葉になりました。
(「久美子はご飯食べたのか?タラタラ」(by父親)みたいな使い方)

 

まったくくだらない経験ですが、
こういう振り返りが今自分の仕事にすごく生きています。
要するに「できると信じ込む」ってとっても大事というわけですよね。
「できると信じ込む」は「できないとは思わない」「達成を全く疑わない」
ということなので、その気で努力したり工夫したりしますもんね。
「誰でもできる」のだから、
できないのは自分のやり方に問題がある、と普通に思うわけです。

 

「耳を動かす」「巻き舌」皆さんもこの機会にぜひどうぞ(笑)

 

※画像は昭和レトログッズコレクターの@HOMEな日常さんから いただきました。
 私より上の世代の方は、とても懐かしいサイトですので訪れてあげてください。

|2010年3月16日 10:04|笹崎|


影響範囲

【笹ちゃん通信】バックナンバー > 現在の記事 > リーダーとコーチング

 

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仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎です。

 

夫は警備の仕事をしているのですが、
今度仕事先の現場でセキュリティシステムが導入され、
警備員も少しだけパソコンを操作する作業が出るそうです。
そのためパソコンを使った事がない多くの同僚達は皆、
不安がっているとのこと。

 

「なにも怖がる事なんて全然ないのにな、あんなの」

 

またまた、もう(笑)

 

実は夫も少し前まではご同類で、
パソコンを操作する機会の全くない仕事を長年やってきたため、
ITには劣等感と拒否反応があって、
「インターネットなんて、あんなもの、俺は絶対やらないよ」
が口癖でした。私への反発もきっとあるんですよね。

 

ところが、競馬が趣味の夫がある日、
騎手やレースのデータがJRAのサイトで簡単にわかると知り、
以後、余暇はひたすらネット漬けの暮らしに大転換!
「データをもっと集めたい」 この強い一念それのみで、
あっという間に、"普通にパソコンが使える人"になってしまいました。
そこに自分のメリットを強く感じたら、
人は(言われなくても)自ら行動を変えるといい例だと思います^^;

 

「決められた通りの手順さえやっていればいいのだから、
ちっとも難しくないと思うんだけどな、あんなものはさ。」
(少々↑優越感(笑))

 

そうかな?違うよ、それはよくわかっているけど、
万が一間違いや失敗したときにどうなるか、
明確にイメージできないから怖いんだよ。
使った事がない、というのはそういうことだよ。

 

そう、私もパソコンを初めて買って、
おそるおそる使い始めた時には、
なにをするにも妙に怖かった記憶があります。

 

今なら初心者が何をどうしくじったって、
せいぜい大したことないのがわかりますが、
(むしろ詳しい人の失敗こそダメージが大きいですよね。
重大なところをよくいじるから(笑))
その当時は、大金を出して買ったばかりだし、
何か動作がおかしくなるたびに、
「これで壊れたらどうしよう?」とか、
「このまま使えなくなるのでは?」とか、
だったら何もしないでおこう、の世界でした。

 

インターネットも同様で、
ウィルスに感染しているのでは?とか、
これを押すと高い金額を請求されるのでは?とか、
様々な警告が出るたびに怖くなって、
たいていそこで断念していました。

 

これらはすべて、何かあったときの影響範囲が、
まだまったく予測できない事によるものだと思います。
パソコンなんて、普通に常識的に使っているなら、
そうそうな事では壊れませんよね。
というか、WordやExcelで資料を作ったり、
何かのソフトウェアを使って趣味に没頭しているぐらいでは、
致命的な破損などはないと思います。

 

でも誰もそう言ってくれないので、
初心者の皆さんは不安なんですよね。

 

かく言ううちのご亭主も、
間違って最小化しては、「うわっ!画面が消えた」と大騒ぎし、
変ないじり方をして「ヤバい、ツールバーを削除してしまった!」と頭を抱え、
そのたびに呼ばれた私は、「大丈夫だよ、ほらね?」と、
いったい何度ご指導したことか(笑)?

 

でもいざ慣れてくると、そういったことも忘れちゃうんですよね。

 

全く使ったことのない方にパソコンを覚えてもらうときは、
まず、ありがちなミスやその影響範囲を、
きちんと伝えてあげるとよいと思います。
できれば、「何かあっても直せますから大丈夫」と言ってあげるとよいかも。

 

人にもよりますが、特に(私もそうでしたが)女性の場合は、
「よくないことは起こらないほうがいい」という発想で、
男性よりも興味・関心や勢いでチャレンジすることが少ないので、
安心を提示してあげるのがひとつの方法かもしれません。

 

そうすることで初心者さんは不安なく取り組むことができるし、
ミスをしても正直に申告してくれると思います。←これ、大事。
そしてそうやって小さな失敗を重ねていくうちに、
変な動作が出るパターンや直し方まで覚えていくんですよね。
それが、自立ということではないかと思います。



|2010年2月17日 04:04|笹崎|


完了形の発声確認がいいいかも

青木崇高クン、最高によかった! > 現在の記事 > 研修講師:「長」の経験

 

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仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎です。

 

私は今まで家にいつも家族の誰かがいる事が多く、
施錠して外出する経験があまりありませんでした。
ですが長男が就職でいなくなり大人三人家族になってみると、
自分が一番最後に家を出ることがとても多くなったんですよね。

 

私は元々慌て者で、仕事でも「えっ!」と驚かれるミスをしたり、
そそっかしい失敗にあとで気がついて青くなることがあるので、
火の始末やガスの元栓や縁側の施錠など、
ちゃんとやって出て来たつもりでも何となく不安で、
一度車を出したのにまた戻ってもう一度確認することがあるのですが、
その回数が随分増えてしまいました。

 

ひとつひとつをきちんと確認したはずなのに、
いざ家を出る段になると自信が持てないというのも変なのですが、
同じ経験のある方もいらっしゃるのじゃないかと思います。

 

ですがこれはどうにも効率が悪いので、
よくよく考えてみた結果、
自分の場合は「正しく完了した」という自分へのフィードバックが、
弱いのではないかと思いました。

 

ならばどうするか?

 

声に出せばいいんだよね。

 

それも、「元栓OK!ストーブOK!」などというのじゃダメみたい。
うちのご亭主の運転のように「右よし!左よし!」と大声で叫んでいながら、
目では全然見ていなくてヒヤッとした事例もあるわけだし(口先だけ!)、
もっと心に残る言い方はないかな。

 

そうだ!ひとつ確認するたびに、
完了形で言葉にしてみればいいんだ!

 

「元栓は今締めました」
「ストーブは今消しました」
「サッシは今鍵を掛けました」
「電気は今全部消しました」

 

お?ひとつひとつを口に出して見ると、
これ、自分にはなかなかいいみたいです。
きちんと確認をした"思い"以上に、
「○○しました」という自分の声が、
耳に入った感覚と共に、言葉を発した"口の記憶"として残るんですよね。
なので全部確認し終えたときに、
全部「○○しました」と言ったから大丈夫!などと強く確信できたんです。

 

年末に住所録の入力をしていたときに、
一度声に出して読みあげてから入力すると、
11桁の携帯番号もその場で覚えて一気に打てると気が付いたりしたのですが、
声に出すことは短期記憶の一時キープにすごく効果がある気がします。
私の場合、家を出る前の発声確認は完了形にするとさらによいようです。

 

頭の中にただとどめるのではなく、
耳に入った音声プラスそのように口を動かしたという身体的な記憶が、
意外によいのかもしれませんね。

 

|2010年2月 8日 22:15|笹崎|


長文もトレーニング次第

挨拶と習慣 > 現在の記事 > 客観への渇望

 

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仙台でコーチングと研修講師の仕事をしている笹崎久美子です。

 

文章を書くのが好きで、急ぎの資料作成や事務作業がないときは、
あっちのブログ、こっちのブログ、MIXI(ミクシー)やTwitter (ツイッター)など、
あっちに書き、こっちに書きしながら午前中を過ごしていたりしますが、
それを見た友人達から、「よくそんなに書けるね」と言われることがとても多いです。
「しかも皆内容が違う上に長文で、
私だったら時間があっても無理!無理!」と言われることも。

 

あはは、そうなのかしら?

 

先日、長男が就職で東京に発つ旨をある友人に伝えたところ、
「寂しいでしょう?」と言うので、
「それがそうでもないの。私の場合は一人でも頭の中が賑やかだからね。」と回答したら、
大いに爆笑されて、「受ける!あまりにおかしいから書いておく!」と、
携帯にメモまでされた私なのですが、
この"頭の中が騒々しい"のは、
確かに文章のボリュームと関係あるのかもしれません。

 

ですが文章ということに関して振り返ってみると、
「あれがよかった!」と思える経験が自分にはあります。

 

それは30代の頃に数年続けた文通かな。

 

実は私、その頃CHAGE&ASKAのファンクラブに入っていたんですが(笑)、
「SAY YES」のヒットを機に若い方が増えてしまい、
会報を読んでも若い人の投稿が中心で寂しいなぁ…と思っていたところに、
同じ世代の方からの文通希望のメッセージを見つけたんです。
それを見て同世代と共感を語り合いたくて、
早速申し込んだのがそもそものきっかけでした。
(その頃はまだ「手紙」がメーンの時代でしたし)

 

ところがいざ文通を始めてみると、いやぁ書けない、書けない、
自分がリアルタイムに考えている事や、
何かを見たり聞いたりして感じたことが全然うまく書けないんです。

 

いえ、「書けない」というのは正確ではなく、
書くことは書けるのですが、
読み直して、「自分が言いたいのはこういうことじゃない」と感じることが多く、
今思えば、一体何が言いたいのか、
自分でも核心を掴むことができなかったんですよね。

 

それで、たった2〜3枚の便箋に書くのでも、
「こうでもない、ああでもない」と時間がかかり過ぎて、
そのテーマについて書く時期やタイミングをすっかり逃してしまい、
また一から書き直す羽目になるなど、
文通程度でなぜこんなに真剣になってしまうのだろうと思われますが、
本当にその時は、「うまく伝えられない」事を嫌だと思ったんですよね。

 

    *    *    *    *    *    *

 

それにしてもいったいなぜこんなに自分が書いた手紙に対して、
毎回自分でダメ出しをしてしまうのだろう?…と考えてみたところ、
あるとき、自分の文章には偽りが多いと気がついたんですよね。

 

「偽り」というのはウソつきのウソという意味ではなく、
カッコいいとあまり思ってないのに、
相手に合わせて「カッコいいよね!」と書いたり、
「最高」と思っていないのに「最高!」と書いてしまったり、
自分の偽りのない本音が全然文章に反映されていないので、
それで気乗りしないんだ、と気がついたわけです。

 

ですが、盛んに最高潮で盛り上がっている文通相手に対して、
「自分はそうは思わない」などと冷たく水を差すような事も書き難く、
じゃ、どう書けばよいのだろう?などと模索し始めました。

 

そしてまず「ウソは書かない」「ウソはどんどん排除する」と決めてみると、
自分が何も考えずにただ書く文章って、思った以上にウソが多くて、
本当に言いたい事、伝えたい事、感じたことを全然すくい取れていないわけです。

 

それを何度も何度も推敲しながら、「ここが違う」という箇所を見つけ、
より自分の真意や本音に近い表現に置き換えていくという作業を、
数年間、手紙を書くたびに行っていった結果、
段々すらすらと思った事が思った通りに書けるようになって来て、
時間もすごく短縮していったんですよね。

 

それともうひとつ、ここではないブログを、
2004年に始めた事も大きかったです。

 

そこではナーバスな話題を扱うことも多かったため、
これまた文面や表現に注意せざるを得ず、
「これじゃ誤解を生む、これじゃ勘違いされる」等々、
書いて読み直して修正してまた読み直して…の繰り返し。

 

ですがそちらのほうでも、数年来続けているうちに、
結構な量の文章でも短い時間で書けるようになりました。

 

    *    *    *    *    *    *

 

文章を書くと言うのは、
絵を好きな人が絵を描いたり、演奏の好きな人が楽器を弾いたり、
書を好きな人が書を書く、ダンスが好きな人がダンスを踊るなどと同様に、
自分にとってはある意味、アーティスティックな自己表現の手段に似ているんですよね。

 

だから文章を書いていると充実していて楽しく、
そこでうまくいかないことがあれば、つい突き詰めたくもなるわけですが、
そういう気質の人でも、そうでない人でも、
やはり数を書いていれば、
語彙や表現の呼び出しや連想力などのつながりが、
必ずスムーズになって来るので、
好き嫌いや才能がないなどと思わずに、
目的を持って何度も何度も時間を掛けて書くことをぜひお奨めします。

 

自分の書いたものを読み返して、
「なんでこんな風にしか書けないんだろう?」と思っている方ほど、
効果があると思います。

 

だって、そう感じ取れることが、何よりもまず、
変化に必要な第一歩ですものね!

 

最後になりましたが、
文通はお互いの趣味の変化で自然にフェイドアウトしましたが、
(つまりお互いに違うアーチストに鞍替えした→浮気なぼくらbyYMOだね(笑))
彼女とは今も年賀状だけの交流は続いています。

 

双方とも、手書きのコメントなどなく、一見素っ気ない年賀状ですが、
お互いにわかりあっているので、それもいいかな、と思って。
なのでお正月が来るたびに、あの頃と彼女の事を思い出し、
1年に一度、元気でやっているよ〜!と思いを込めて、
無言の年賀状を送っています。
たぶん今までも、これからもずっとね。

|2010年2月 2日 09:10|笹崎|


ノックは4回

コーチング/沈黙と雄弁と > 現在の記事 > 誰か故郷を想わざる

 

door.jpg

正式なマナーでは入室時のドアのノックは4回(4回以上)が正しいのだそうです。
http://www.e-kyoto.net/colum/sonoyama/sono36.htm

 

これはマナー研修や同様のセミナーなどに参加するとよく言われる事で、
私達がよくやってしまいがちな2回のノックは、
「トイレノック」と言って、本来お手洗いで使う回数なのだそうです。

 

それを最初に私に教えてくれたのが、
マナー/接遇講師でコーチ仲間のあんこちゃんなのですが、
「なるほど、そうなのか!」と思った私は、
早速次の日から実践し始めました。

 

それは、あんこちゃんから、
「2回のノックで室内に入って来る人がいると、
あぁ、この人は知らない人なんだなぁ、と思う。」という言葉を聞いたからでもあり、
DiSCでいうと「i」、常に「称賛」を無意識に自己ニーズとして生きている私としては、
「称賛」の対極にある行動にはそこそこ敏感で、
そういうセリフに弱かったりするのですね(笑)

 

ところが。

 

常に意識してすっかり習慣化してしまったせい?なのか、
最近の私は無意識にトイレでも4回ノックしてしまうのです(爆)

 

昨日も居酒屋さんのトイレで、なーんにも考えずに4回ノックして、
思わず自分で、おっとっとっと…と受けてしまいました。

 

がはは、ちょっと!
これってシチュエーションを念頭に置いて配慮するのでなく、
取りあえず、「ノックは4回だぞ?」というキャッチフレーズで、
強力なかつストレートなインプットをしているってことですよね(笑)
(そう、アタシって単純なのかも〜♪)

 

でも想像してみてください。

 

トイレで次の訪問者に4回ノックされたらどう思うでしょう?
「コン、コン」ではなく、「コン、コン、コン、コン」でっせ?

 

いかにも、「てめー、何やってんだ、早く出ろよぉ!」と言わんばかりで、
微妙に失礼ですよね〜!
いやはや、間違って身についてしまった習慣というのは恐ろしい?ものです(笑)

 

それなのに癖でついやっちゃう自分に思わず苦笑の毎日でごさいます。
うーん、次はこれを修正せねば…^^

|2009年11月10日 20:33|笹崎|


雨の日に洗車

【反省002】人違いを恐れずに声を掛ける事 > 現在の記事 > 異国の髪型

我が家の駐車スペースの排水は、
後ろ半分が敷地の排水口に、
前半分が6件の家で共有している、
砂利道の私道に流れます。

 

が、洗車をすると水の量が多いので、
そのまま目標の私道の排水溝を通り過ぎて、
なんと特定の家の玄関先に溜まり、
そこに水溜りを作っちゃうんですよね。

 

これは非常に具合が悪いので、
自宅で洗車するときは、
かんかん照りの真夏の日中にするか、
(すぐに水が干上がるので、気付かれないし迷惑もかけない)
または洗車場を使うしかなかったのですが、
今日思い付きました。

 

「そうだ。雨の日にすればいいんだ!」

 

それだと砂利道の私道も家々の玄関先も、
最初から濡れていて水もあちこちに溜まっているので、
洗車したってわからないし、影響もありません!

 

そっか〜!

 

ワックスをかけてピカピカに磨きたいなら別だけど、
うっすらと汚れている土ぼこりを落とすぐらいなら、
雨の日でも全然オッケーだね!

 

今日は雨です。
だからこれから洗車したいと思います。

|2009年5月30日 11:17|笹崎|


あなた好みの情報量

きのう仕舞い、きょう仕舞い > 現在の記事 > 身近に探そう、生き方モデル

anata_gonomi_infomation.jpg

お正月、私がPCで作ってあげた母の年賀状の追加印刷を頼まれたのでプリンターに年賀ハガキをセットしていたら、「久美ちゃんは今年はどんな年賀状にしたの?」と聞くので、「こんな感じ〜」と見せてみました。

そうしたらうちの母がひと目それを見て「うわ〜、なにこれ?まるでチラシじゃない?」と言うので、「あったり前じゃん、今は自営業者なんだから年賀状でも宣伝しないと!」回答。

すると眉をひそめて、「う〜こういうの見たくない。字が一杯で何がなんだかよくわかんない。もらった瞬間からこういうのは読みたいとも思わない。」と、すごく嫌な感じで突っ返して来たので、(人の年賀状をよくそこまで言うなぁ…)と思いながら、「このぐらいは説明を入れないと、逆にもらった人は何がなんだかわかんないでしょ?」と反論する。

部屋に帰ってもう一度見てみる。

これってそんなに「読みたくも無い」ハガキかなぁ…それはDiSC講座のご案内も兼ねた年賀状で、DiSCの説明とそれぞれの回の日時・場所・料金などを入れたのですが、確かにこの内容を読みやすく配置して入れるのは難しく、最初に思っていたよりは文字のサイズが結構小さくなっちゃったんだよね。そう考えてみると、私は読みやすさや感じのいいレイアウトよりも、内容をすべて入れることに高い優先順位をつけたってわけだ。

そのときは「もうこれ以上は文章を削れない」と思ってそうしたのだけれど、うちの母に言わせれば、「こんなにコチャコチャ説明を入れなくても、講座の名前と日時と時間と料金だけで十分でしょ?」と言うんだよね。

そうかなぁ…もし私が受けとるほうだったらDiSCといきなり言われたって何のことだかわからないし、最低限の情報はやっぱり欲しいと思う。それがなければむしろ不親切だと感じるし、それにもらっても魅力を感じない。「え?何これ?」で終わっちゃいそうだ。

けれどもしかしたら、それは私の思考体系がよりたくさんの情報を求めるタイプだから、なのかしら?考えてみれば私のメールはどれも長いし、このブログだって(これでも抑えているのですが)書き始めたら止まらないし、何かを本気で表現しようと思うと結構なボリュームになっちゃうんだよね。でもこれが素の状態の自然な私なの。

それってもしかしたら無駄にメモリが大きいのかも…。なので町場の郵便局みたいに元々取扱量が多いので、入ってくる情報が少ないと物足りなく感じてしまい、チラシでもパンフレットでもある程度文字数が多くて内容が濃いほうが心地よく、そうでない場合は、「これだけじゃ、よくわからん!」とすぐにネット検索しちゃうんですよね^^(たぶんね〜、退屈な研修を受けると人より先に眠くなるのも、きっとそのせいだと思う。ま、言い訳ですけど(笑))

でもそれは、あくまでも私の場合。

うちの母が感じた「文字が多くて読む気もしない」というのもたぶん真実の話で、うちの母はきっと一瞥したパッと見の感覚でだいたいの概要をつかむタイプだと思うので、いちいち読まなければ何もわからないようなレイアウトだと苦しいんだと思う。メガネをかけても新聞や小説をよく読む母なので、あの嫌そうな表情は「老眼のため」だけじゃなかったような気がします。

友人達には「よく短時間でこれだけ書けるね?」と言われたりする私ですが、私から見ると、メールもブログも簡潔で端的にかける人のほうがうらやましい。だってこのブログにしたって「長そうだなぁ」と思って素通りされてしまうと、せっかく伝えたいことも相手には伝わらないわけで、損だと思うんです。メールだってそうだよね。私のような長文メールだと、ちょっと見ただけでは、何を言わんがためのメールかわかりにくいし(しかも誤字脱字も多い)、数行で内容だけをシンプルに書いている知人達のメールを、自分もこんな風に書けたらいいのに…とすごく思ったりします。

え?だったらそうすればいいじゃない?うん、そうなのよ。でも実際にそうすると、ものすごく不安で安定しない気持ちになったりするの。おかしいよね^^。なので多い人は多いのが心地いいし、少ない人は少ないのが心地いいし、本当はその人の処理に合った最適の情報量ってあるんだと思います。

要はそこから少しだけ意識的に加減して、どうやって最大公約数の「適度な量」に調整するか?だよね。シンプルすぎる人はもうちょっと多く。複雑になりがちな人はもうちょっと単純に。でも、文面がシンプルな人はよく、「考えてもこれ以上何も浮かばない」と言うので、それもまた人それぞれなのだろうね。

とりあえず私は長いメールでも短いメールでも、メールを送っていただけるのなら、それはいつでも大歓迎!個人的に短いメールに憧れはありますが、「ちっとも書けない」という人がいるのなら、(内容の良し悪しはさておいて)自分は「書ける」という事を強みに思うことにしましょう。そしてそれを何かに生かせればいいなぁと思います。

|2009年1月21日 00:56|笹崎|


きのう仕舞い、きょう仕舞い

亭主の言葉の再構築 > 現在の記事 > あなた好みの情報量

kinou_jimai.jpg

DiSCのセミナーを何度かやっていると、「自己分析と他者理解」のスキルアップに効果があるのは、実は講師自身なんじゃないか?と思うことがよくある。

私のDiSCの特性は「iD」ですがこれは一番に「i(感化型)」が高くて、その次に「D(主導型)」。これは「他者に影響を与える行動を好む」のと「主導権を取って物事を進めていくことを好む」の合体型です。(たぶん私をよくご存知の皆さんは、「なるほどなぁ…」と感じてこの日記を読むと思います。)

「i」は話好きで結果よりも感情重視、そして社交性があるため他の特性の方(特に「C」)からうらやましがられることが多いのですが、反面欠点もたくさんあってDiSCの講座を開くたびにそれが自覚されるところですね^^

DiSCに寄らずとも私の思考体系は物事をどんどん拡散・発展させて考えていくタイプなので、想像力があってイメージやアイデアは豊富ですが、その分足場固めが弱く固定感覚が薄いため、次々と色々なことに手をつけるのはよいのですが、どんどん行動や発想が遷移していって、元々の目的を見失ったりよく自分の立ち位置に戻って来れなくなります。

日常の具体例だと、「毎日つけたほうがいい収支の記録をほったらかして、新しく浮かんだチラシのアイデアを早速実行するべく没頭してしまう」とか、「茶碗を洗っていたはずなのに急にあるCDが聞きたくなって探し始め、見つけたら見つけたで『そうだ!明日車でも聞こう!』と考えてそのままCDコピーの作業に入ってしまう」とか…

が、もう今は自営業なんですからそうもいきません。

なので私の今年の目標は「きのう仕舞い、きょう仕舞い」です。

「仕舞う」

とってもいい言葉ですよね。店じまいとか「今日のお話はこれでおしまい」とか、「しまう」という言葉にはただの終了ではなく、すべてを元通りに戻して明日に備えるニュアンスがあります。漢字で「仕舞う」と書くともっと素敵。

私に不足しているのはこの「仕舞う」という意識なので、夜PCに向かったらまずは(終わっていない)今日を終了させる、昨日もまだなら昨日も終了させる、そんな気持ちでやれたらないいな、と思います。

…というわけで久しぶりのフル休日の今日は、朝から財布のレシートや名刺や請求書の整理などをしている私。作業中になにかまた新しいアイデアや取り掛かりたいことが思い浮かんでも、ダメ!今は集中、集中!

思えば小学校の6年間、ずーーっと通信簿に「整理整頓」を書かれ続けた私^^。当時はちょっと身の回りが汚いぐらいで何よ?と思っていましたが、先生の言いたかったのはきっとそういう見た目の話じゃなかったと思うんですよね。いやー、やっぱり先生はよくて見るわ。

ではでは、気分の転換(?)のブログもここまでにして(笑)、また作業に戻ります。

|2009年1月17日 11:13|笹崎|


心と体の回転数

送別会をありがとう! > 現在の記事 > 素晴らしい道案内!

haguruma.jpg

飲み会続きだったせいか、それとも少々寝不足だったせいか、数日前まで自分の回転数がとても落ちていたと思います。えーと、回転数というとわかりにくいですが、クルクルと頭がよく働き物事もチャッチャと進めて早々に済ませられる感じ?


私の場合は朝から晩までちゃんと自室に布団を敷いて本格的に爆睡したり、誰かに会って長時間とことん話したりすると結構回復するんですが、やっかいな事にその最中(さなか)にあるときは自分ではそうとわからないんですよね。


十分に睡眠を取って、また体がシャカシャカ動くようになったときに初めて、「あ〜疲れていたんだ〜」とか、「あ〜寝不足だったんだ〜」とか、「あ〜、最近インプットとアウトプットのバランスが悪かったんだ〜」なんて気がつきますけど、何かが偏っていると自分のそのときの真の状態にさえ、なかなか気が回らないですよね。


うろ覚えですが、以前に読んだメルマガかどこかのサイトで、「サインは必ず出ているはずなので、自分でそれを見逃さないこと」 と書いてあって、なるほどな〜と思いました。


私の場合は、(笑うなよ〜(爆)!!!)
・何をするにも億劫。行動が後ろ向きで「やだなー」と思いながら重い腰を上げる(笑)。
・机の上が汚い。
・しかも書類の山積みが不安定なのでよく通りすがりに引っ掛けて崩す。
・当然部屋も汚い。
・イスの背もたれに脱いだジーンズをチョイがけしたのが幾重にもなって椅子が倒れる!
・帰宅して着替えたあとのスーツを所定の場所に収めない。
・洋服類はなんとなくハンガーにかけてそのまま出しっ放し。
・洗濯物が二階のベランダで数日放置されている。
・便座の裏が汚れている。
 (↑これは普段やっている「起きたらまずトイレ掃除」の時間的余裕がないから。)
・そう、なんとなく、朝がギリギリの日が多い。
・郵便物が配達時の束のまま開封もされずに放置されている。
・ノリノリのミュージックをヘッドフォンでガンガン鳴らしてエクササイズをしない。
・食事後の食器を洗うときに、お気に入りの音楽をかけない。


うふふ、まぁ…こんなところでしょうか^^


そして今回、もっと大きなデメリットに気がつきました。


それは「了見が狭くなる」ことです。


実はコーチング講座を自前で自主開催するということは、それなりに集客上の気苦労も多かったりするのですが、正直なところあさっての25日(土)の講座は予想に反していつもより申し込みが少なくて、「あれ?なんで」。。。


…で、数日前まで思っていたのは、「今までメールを送ったことがない人にも送ろう」だったり、「一度ご案内を送った人にも再度メールでプッシュしてみよう」だったのですが、人に会い、たっぷり睡眠を取って、すっかり回復した今の自分が同じ事を考えてみると、「今からでも近所のお店にチラシを置いてもらおうかな?」とか、「知人にひとりひとり直接電話をかけてみようか?」とか、メールという手法にこだわることなく、次々に範囲を広げたアイデアが浮かんできます。


結局そういうことなんですよね。心身のバランスと適度なトルク(回転数)を保つことは、夢があって創造的な活動をするためには必要不可欠なんだ、と思い知りました。


これをお読みのあなたがもし「体が動かない」「やる気がわかない」「悲観的なことばかり考える」「他人の目が必要以上に気になる」のなら、もしかして疲れているのではないですか?公私ともにエネルギーが出て行くばかり補填がないのではないですか?ならば他人の迷惑など気にせずに思い切って休んでみる!わがまま言って好きなことをやってみる!こんなことが必要なのかもしれません。何が大事と言って、あなた自身が一番大事です。それを優先的に考えてみるのも、引いてはご家族や職場のみんなのためかもしれませんよ〜!自分の中の黄色信号を見逃さないでね♪信号が赤に変わる前に。

|2008年10月23日 21:26|笹崎|